遺族ケアについて

死を学ぶ

昨日一昨日は台風の影響でしょうか。東京は肌寒く、真夏の暑さから一変して秋の気配です。猛暑から解放されるとほっとして、私の中の眠っていた活動意欲がムズムズしてきます。皆様はいかがですか?食欲の秋?旅行?読書?

私、書棚にしまっていた2冊の本を取り出しました。
テーマが重いので、なかなか熟読できずにいた本です。
1冊は『いのちをもてなす ― 環境と医療の現場から』、もう1冊は『「痴呆老人」は何を見ているか』です。二冊の著者は大井玄氏です。

改めて、自己(自分)という存在をどう捉えるか、考えさせられました。
また、日本民族の自己の死の受容のあり方の多くは、家族とのつながり意識が基盤になっているということを理解することができました。
医療者の方々は看取りをされることがあるので、死の受容過程についてキュプラー・ロスの5段階を学んでおられる方も多いのではないでしょうか。キュプラー・ロスが気づかなかったアジア圏(日本を含む)における一人称の死の受容説について知ることができたことは、私の中にあった疑問の答えを見つけるヒントになり嬉しい収穫でした。

人には、最もその人の心に響く出来事を通して人生を考えるチャンスが訪れるものなのでしょうか。私はご遺体のケアをさせて頂く仕事を通して、命には限り有るということを理解することができ生き方を考えるチャンスに出会えました。
一般的に人は、自分の死を意識しないで生きています。
でも、「命」は尽きるものであることを理解して生きることができれば、生き方を考えることにつながるように思います。命をどう生きるかというテーマが、意識的であれ無意識であれ自分自身の中に存在することで、生あるものの命を尊ぶことにつながるように思うのです。

すでに読まれた方もおられると思いますが、まだの方は新しい発見や見えてくるものがあるかと思います。ご病気やご高齢のご家族に寄り添う立場からの視点に立って、またご自身が心健やかに生きていただくためのヒントを探して見られてはいかがでしょうか?


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